カテゴリー: 暮らし・横浜

  • 50代、みなとみらいで暮らす楽しさ|フェスティバルのある街に住んで思うこと

    50代、みなとみらいで暮らす楽しさ|フェスティバルのある街に住んで思うこと

    みなとみらいに引っ越してから、意外とまだ花火をちゃんと見ることができていませんでした。

    なかなかタイミングが合わなかったり、昨年は事故の影響で中止になったり。

    今年の開港祭も含めて、せっかくみなとみらいに住んでいるのに、花火を見る機会を逃していました。

    そんな中、今回は日程的に行けそうだったので、

    「横浜グリーンエクスポ応援 みなとみらいフェスティバル」

    のチケットを後から購入しました。

    徒歩で行ける花火大会。でも6,000円(笑)

    横浜グリーンエクスポ応援みなとみらいフェスティバル2026の臨港パーク芝生席入場券2枚。

    会場の臨港パークまでは、自宅から徒歩で行けます。

    これは、みなとみらいに住んでいる大きなメリットの一つです。

    ところが残念ながら、チケットがなければ会場には入れません。

    最近はチケット制の花火大会が本当に増えました。

    日本の夏の風物詩だった花火大会が、いつの間にか「有料イベント」になっている。

    少し世知辛い感じがしてしまうのは、私だけでしょうか(笑)。

    とはいえ、見たいものは見たい。

    今回は1枚6,000円のチケットを購入して、臨港パークへ向かいました。

    「45分で6,000円?」と思っていました

    正直に言います。

    購入した時点では、

    「花火45分で6,000円か……」

    と思っていました(笑)。

    しかも私が購入したのは芝生席。

    椅子があるわけではなく、芝生に直接座って見るスタイルです。

    歌や踊りなどのステージイベントもありましたが、私がいた場所からはほとんど見えません。

    個人的には、

    「花火だけでもいいんじゃないかな」

    と思ってしまいました(笑)。

    ところが――。

    花火が始まった瞬間、その考えは変わりました。

    みなとみらいの花火大会を待つ臨港パークの芝生席。海を望む会場に多くの観客が集まっている。

    40~45分で約18,000発。その迫力に圧倒された

    これは凄かった。

    本当にその一言です。

    約40~45分という短い時間の中で、次々と花火が打ち上がっていきます。

    私が大好きな花火大会の一つに、秩父夜祭があります。

    一度行ってからすっかり気に入り、できる限り見に行くようになりました。

    冬の澄んだ空に上がる花火。

    豪華な山車。

    そして山に囲まれた秩父の街。

    あの独特の幻想的な雰囲気が大好きです。

    花火大会は単純に「何発上がるか」だけで比べるものではないと思います。

    それでも、純粋に花火の密度と迫力だけを考えれば、今回のみなとみらいの花火にはかなり圧倒されました。

    「6,000円払った価値はあったかもしれない」

    終わった頃には、そんな気持ちになっていました(笑)。

    みなとみらいの景色と花火は、ちょっとずるい

    芝生席は、有料招待席や椅子席と比べると、場所によって見え方にかなり差があります。

    入場する時間によっても、いい場所を確保できるかどうかは変わってきます。

    私の場所からは、みなとみらいの建物すべてを背景に花火を見ることはできませんでした。

    それでも十分でした。

    ベイブリッジ。

    そして場所によっては、

    ランドマークタワー。

    ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル。

    大観覧車。

    そんな横浜を象徴する景色の向こうに、大量の花火が上がる。

    これは、

    「ちょっとずるいな」

    と思いました(笑)。

    ただでさえ絵になる街なのに、そこへ花火まで加わる。

    そりゃ、人が集まるわけです。

    10万人以上が集まる街に、自分は歩いて帰れる

    今回のフェスティバルには、本当に多くの人が訪れていました。

    花火が終われば、当然ながら一斉に人が動き始めます。

    駅へ向かう人。

    家族連れ。

    カップル。

    友人同士。

    ものすごい人です。

    でも私は、その人の流れを横目に見ながら歩いて自宅へ帰ることができます。

    電車の混雑を心配する必要もない。

    帰りの時間を気にする必要もない。

    荷物を持って会場へ向かうのも、それほど大変ではありません。

    このとき改めて思いました。

    「ああ、自分はこの街に住んでいるんだな」

    と。

    「住みたい」と思っていた街が、日常になった

    以前、このブログでも書きましたが、

    「みなとみらいのタワーマンションに住む」

    というのは、私の「100のやりたいこと」に入っていた一つでした。

    昔の自分にとって、みなとみらいは遊びに来る街でした。

    夜景を見に来る。

    食事をしに来る。

    イベントを見に来る。

    それが今では、

    自分が帰ってくる街になりました。

    これは、今でも少し不思議な感覚があります。

    たくさんの人が時間をかけて遊びに来る。

    その場所を、自分は普段の生活の中で歩いている。

    もちろん、住んでみれば不便なところだってあります。

    観光客が多くて混雑する日もあります。

    物価だって決して安くありません。

    でも今回、花火を見ながら、

    「ここに住んで良かったな」

    と素直に思いました。

    50代で住む場所を変えたら、日常まで変わった

    50代になってから、私はみなとみらいへ引っ越しました。

    以前の自分なら、

    「いつか住めたらいいな」

    で終わっていたかもしれません。

    でも実際に動いてみたことで、「憧れていた街」が「自分の暮らす街」になりました。

    そして住む場所が変わると、日常も変わります。

    散歩する景色が変わる。

    休日の過ごし方が変わる。

    イベントへ行くハードルが下がる。

    今回のように、

    「ちょっと花火を見に行こう」

    ということまで、日常の延長になります。

    これは引っ越す前には想像していなかったことでした。

    人が集まる街に住めたことに感謝したい

    まだまだ、みなとみらいには私の知らない場所や楽しみ方がたくさんあります。

    住んでいるからこそ分かる魅力も、これからもっと見つかると思います。

    今回の花火大会も、その一つでした。

    たくさんの人が、

    「行ってみたい」

    と思って訪れる街。

    そんな街に、自分が住むことができた。

    50代になって人生を少しずつ変えてきた中で、これは自分にとってかなり大きな出来事だったのだと思います。

    これからこのブログでも、旅行や投資、仕事のことだけでなく、みなとみらいで暮らしているからこそ感じる街の魅力をもっと書いていきたいと思っています。

    そして次は――。

    今週末、また横浜スタジアムへ野球を見に行こうと思っています。

    今回は、ついにユニフォームまで買ってしまおうかと考えています(笑)。

    昔は「遊びに来る街」だった横浜が、少しずつ**「自分の街」**になってきました。

    そんな話も、また書きたいと思います。

    人生は終わらない。

    50代。

    まだ終わらない。

  • 50代で横浜ベイスターズを応援するという選択|横浜に住んで見つけた新しい楽しみ方

    50代で横浜ベイスターズを応援するという選択|横浜に住んで見つけた新しい楽しみ方

    横浜へ引っ越してから、一つ変わったことがあります。

    それは、横浜ベイスターズが少しずつ気になる存在になったことです。

    正直に言えば、私は昔からベイスターズファンだったわけではありません。

    むしろ前身の太洋ホエールズは川崎を本拠地としていたこともあり、地元では複雑な思いを持つ人も少なくありませんでした。

    私自身もそんな話を耳にする機会があり、「わざわざ応援しなくてもいいかな。」その程度の印象でした。

    子どもの頃は父の影響で西武ライオンズを応援していました。

    当時は川崎市内でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の子ども向けチケットが配られていて、ロッテ側の応援席から西武を応援していたこともあります。

    高校生になる頃にはヤクルトスワローズが好きになりました。

    広沢克己選手。

    池山隆寛選手。

    古田敦也選手。

    高津臣吾選手。

    そして野村克也監督。

    西武との日本シリーズは、今でも強く印象に残っています。

    その後は特定の球団を応援することもなく、地方へ出張した際に球場へ立ち寄り、ビールを飲みながら試合を楽しむ程度でした。

    横浜に住んだから見えてきたもの

    ベイスターズカラーに彩られた関内駅と試合前に集まるファン

    横浜へ引っ越してから驚いたことがあります。

    どこの駅へ行っても、ベイスターズのポスターやタペストリーを見かけることです。

    仕事柄、

    「どうやって人を集めているのか。」

    「どうやってファンを作っているのか。」

    そんな視点で街を見る癖があります。

    昔のベイスターズには、正直あまり良い印象がありませんでした。

    以前、ポンパレで安く購入したチケットで観戦した際には、土砂降りの雨の中でも5回成立を優先して試合が続行され、びしょ濡れになって帰った記憶があります。

    それが今では、

    「チケットが全然取れない。」

    そんな話を聞くようになりました。

    川崎のBARでもベイスターズファンが本当に増えました。

    そして先日関内へ行くと、街中がユニフォーム姿の人であふれていました。

    まるでサッカーの試合の日のような熱気です。

    「最近のプロ野球って、こんなに盛り上がっているんだ。」

    そんな驚きがありました。

    球団ではなく、街全体が応援している

    最近はテレビ中継を見る機会も減り、知っている選手も牧秀悟選手や筒香嘉智選手くらいです。

    それでも興味を持った理由があります。

    子どもたちがグッズを身につけ、

    家族連れがユニフォームを着て、

    街全体が同じチームを応援している。

    それは単なる野球人気ではなく、

    横浜という街の文化

    になっているように感じました。

    好きだからこそ、人は人を動かせる

    株式会社DeNAの南場智子社長が、大のベイスターズファンであることを知りました。

    好きだからこそ、

    ファンが何を求めているのか分かる。

    好きだからこそ、

    もっと良くしたいと思える。

    これは仕事でも同じだと思います。

    私は営業の仕事をしていますが、本当に相手のことを考えている人には自然と人が集まります。

    「好き」という気持ちは、人を動かす大きな力になります。

    だから横浜ベイスターズは、今も成長し続けているのだと思いました。

    初めて感じた、横浜スタジアムの一体感

    7月10日。

    ベイスターズ対ジャイアンツ戦を観戦しました。

    初回、いきなり満塁ホームランを浴びて4点ビハインド。

    「今日は厳しいかな。」

    そう思った直後、ベイスターズがすぐに反撃を始めます。

    最後まで点の取り合いとなり、気が付けば夢中になっていました。

    試合そのものも面白かったのですが、それ以上に驚いたことがあります。

    関内駅を降りた瞬間から、ベイスターズ一色だったことです。

    駅から球場まで自然と人が流れ、歩いているだけで気持ちが高まっていく。

    新しくできたBASEGATEには撮影スポットがあり、その先には「BAYSTORE Flagship YOKOHAMA」。

    BASEGATE前のベイスターズ撮影スポットで写真を撮るファン

    試合開始前から、すでに観戦体験が始まっていました。

    仕事柄、

    「導線づくり」

    という視点でも、とても勉強になりました。

    野球を見せるのではなく、体験を売っている

    私が一番驚いたのは、

    野球を見せるだけではなく、球場全体で楽しませていることでした。

    DJが試合を盛り上げる。

    声援を測るファン参加型のイベント。

    ダンス対決。

    横浜スタジアムの大ビジョンと試合中の歓声の音量。

    ホームランで打ち上がる花火。

    勝利の瞬間に球場全体が一つになる演出。

    野球に詳しくなくても楽しめる。

    「また来たい。」

    自然とそう思わせる仕組みがありました。

    売り子さんも笑顔で接客してくれました。

    屋外球場ならではの開放感があります。

    でも、

    屋外で飲むビール。

    夕暮れの横浜スタジアムでビールを楽しみながら観戦する様子

    歓声。

    照明。

    花火。

    横浜スタジアム全体の空気。

    それらを含めて、

    私はベイスターズが好きになりました。

    新しい趣味は、人生を少し豊かにする

    50代になると、新しい趣味はなかなか増えません。

    でも、

    住む場所が変われば、

    見る景色も変わります。

    街を好きになる。

    その街の球団を応援する。

    そんな楽しみ方があってもいい。

    正直、試合が終わる頃には、

    「また来たい。」

    そう思っていました。

    ベイスターズを応援するというより、

    横浜という街の一員になれたような気持ち。

    それが一番うれしかったことです。

    人生を豊かにするのは、大きな出来事ばかりではありません。

    休日に野球を観る。

    街を歩く。

    知らなかった楽しみを見つける。

    そんな小さな積み重ねが、毎日を少し豊かにしてくれるのだと思います。

    そして、横浜には、まだ知らない楽しみがたくさんありそうです。

    人生は終わらない

    50代。

    まだ終わらない。

  • 50代で環境を変えるという選択|みなとみらいに住んで1年で感じたこと

    50代で環境を変えるという選択|みなとみらいに住んで1年で感じたこと

    人生を変えたのは大きな決断ではなく、住む場所だった

    昨年の3月から「みなとみらい」に引っ越してきて、あっという間に1年が過ぎた。

    正直、この1年は私にとって何にも代えがたい一年だった。

    この充足感はなかなか言葉で表現できない。

    憧れの街。
    憧れの生活。

    お金が少しかかりすぎること以外は、今のところ大きな不満はない。

    17年住んだ家を手放して選んだ暮らし

    関連記事:
    50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現した方法

    17年間住んだ川崎の自宅を売却し、家賃20万円を超える賃貸へ移る。

    数字だけ見れば無謀に見えるかもしれない。

    私自身も何度も迷った。

    本当にこの選択で良いのか。

    老後資金は大丈夫なのか。

    住宅を持たずに生きていけるのか。

    それでも私は環境を変えることを選んだ。

    今振り返ると、その決断は間違っていなかったと思う。

    少年時代から憧れていた横浜

    以前の記事「私が横浜を好きな理由。気付けば柴田恭兵さんに憧れていた」でも書いたが、、私は少年時代から柴田恭兵さんが演じる人物たちに憧れていた。

    実際に柴田恭兵さんがどこに住んでいるのかは知らない。

    しかし、ドラマの中で見た横浜の景色は、ずっと私の中に残っていた。

    その少年が50代になり、ようやく理想の街で暮らしている。

    人生とは不思議なものだと思う。

    桜木町駅を降りると別世界が広がる

    桜木町駅前から見たランドマークタワーとコスモクロック21の夜景

    桜木町駅を降りると、そこは別世界だ。

    ランドマークタワー。

    インターコンチネンタルホテル。

    コスモクロック21。

    夜になると圧倒的な夜景が広がる。

    何度見ても飽きない。

    歩くことが楽しくなった

    朝の散歩も本当に増えた。

    臨港パークからハンマーヘッド。

    時には赤レンガ倉庫まで。

    休日には山下公園や中華街まで足を延ばすこともある。

    みなとみらいには朝からランニングや散歩をしている人が本当に多い。

    最初は不思議だったが、今ではよく分かる。 この街は歩きたくなる街なのだ。

    みなとみらいの夜景を眺めながら散歩できる遊歩道とベンチ

    ※AIで生成したアニメーションです。

    通勤時間さえ楽しい

    以前はバス停から徒歩4分ほどだった。

    今は桜木町駅まで約1.5キロ。

    横浜駅までも同じくらいある。

    普通なら不便になったと言うのかもしれない。

    しかし不思議なことに全く苦にならない。

    朝はクイーンズスクエアからランドマークを抜けて桜木町へ。

    帰りは横浜駅からポルタ、そごう、はまみらいウォークを通って帰宅する。

    毎日の通勤が少し楽しい。

    引っ越してからの平均歩数は約9,500歩。

    気付けば毎日1万歩近く歩く生活になっていた。

    横浜を遊び尽くしたい

    休日の過ごし方も変わった。

    野毛で飲む。

    関内でランチを食べる。

    中華街を散策する。

    以前なら混雑を避けていた私が、ゴールデンウィークの中華街にわざわざ足を運ぶようになった。

    想像以上の人出だったが、それもまた楽しかった。

    ゴールデンウィークで賑わう横浜中華街の様子

    夏には妹と台湾へ行く予定だ。

    その前にと思い、ランドマークプラザの鼎泰豐にも行ってきた。

    本場台湾との違いを味わうのが今から楽しみである。

    ランドマークプラザ内の鼎泰豐横浜店

    環境を変えると人生は少しずつ変わる

    春夏秋冬のみなとみらいの風景をまとめた写真

    朝のみなとみらい。

    夜のみなとみらい。

    桜のみなとみらい。

    雪のみなとみらい。

    同じ街なのに毎回違う表情を見せてくれる。

    コロナで一度立ち止まった。

    父も亡くなった。

    50代になり、人生には終わりがあることも意識するようになった。

    だからこそ私は環境を変えた。

    住む場所を変える。

    歩く景色を変える。

    付き合う人を変える。

    すると少しずつ考え方も変わっていった。

    人生を大きく変える特別な才能は私にはない。

    でも環境を変えることはできる。

    みなとみらいで過ごしたこの一年は、それを教えてくれた気がする。

    私はこの街で、これからも多くの発見をしながら生きていきたい。

    思っている以上に、これからの人生は長いのだから。

    人生はまだ終わらない。

    50代。 まだ終わらない。

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    ▼人生再設計シリーズ

    私が横浜を好きな理由。気付けば柴田恭兵さんに憧れていた

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  • 私が横浜を好きな理由。気付けば柴田恭兵さんに憧れていた

    私が横浜を好きな理由。気付けば柴田恭兵さんに憧れていた

    以前の記事でも触れたが、私は50年以上生まれ育った川崎を離れ、みなとみらいで暮らすことを選んだ。

    ▶ 関連記事:
    [50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現した方法]

    もちろん学生時代のデートの思い出もある。

    街並みへの憧れもある。

    しかし、それだけでは説明できないほど私は横浜に強く惹かれている。

    なぜなのだろう。

    最近その理由を改めて考えていた。

    すると、一人の人物が浮かび上がってきた。

    そうだ。

    柴田恭兵さんだ。 点と点が繋がる感覚だった。

    あぶない刑事と少年時代

    私は小学校から中学校にかけて「あぶない刑事」の大ファンだった。

    多分、普通ではない。

    タイトルの二字熟語を覚えたり、サングラスを買ったり、ナイロンジャケットを着たり、BB弾のモデルガンを持ったり。

    今思えばかなり痛い少年だったと思う(笑)。

    もちろん作品そのものも好きだった。

    鷹山敏樹(舘ひろし)。

    真山薫(浅野温子)。

    町田透(仲村トオル)。

    あの世界観が好きだった。

    その中でも別格だったのが大下勇次(柴田恭兵)だった。

    セクシー。

    ユーモアがある。

    女好き。

    そのくせ、あまりモテない(笑)。

    そして仲間思い。

    今振り返ると、まさに私の理想像だった気がする。

    そして彼らが活躍する舞台が横浜港警察署だった。 これが私の横浜への憧れの原点だったのかもしれない。

    横浜がおしゃれな街になった日

    ランドマークから見下ろすみなとみらいの観覧車、インターコンチが一望できる夜景。

    さらに考えると、横浜のイメージは柴田恭兵さんのドラマによって作られていった気がする。

    1992年の「子供が寝たあとで」。

    1993年の「大人のキス」。

    この二作品だ。

    当時のみなとみらいは今ほど完成された街ではなかった。

    それでもインターコンチネンタルホテルや港の風景は十分に魅力的だった。

    私の中で、

    横浜=おしゃれな大人の街

    というイメージが作られたのは、この頃だった気がする。

    気付けば柴田恭兵さんの役ばかり好きだった

    最近気付いた。

    私は柴田恭兵さん本人を知っているわけではない。

    だが、柴田恭兵さんが演じる役はずっと好きだった。

    大下勇次(あぶない刑事)

    お茶目で女好き。

    でも仲間思いで情に厚い。

    豊臣秀吉(太閤記)

    人たらしで明るい。

    しかし人の縁を大切にする。

    上杉謙信(風林火山)

    義を重んじる男。

    敵である武田信玄と互いを認め合う姿が格好良かった。

    廣瀬太郎(子供が寝たあとで)

    子供嫌いなのに面倒見が良い。

    そんな不器用さが好きだった。

    丹羽修一(大人のキス)

    大人の友情と恋愛。

    そして主題歌だったオリジナル・ラブの「接吻」。

    私は今でもスナックで時々歌う。

    鷺坂正司(空飛ぶ広報室)

    お茶目で面倒見が良い上司。

    上への根回しも上手い。

    そして奥さんを大切にする。

    芝野健夫(ハゲタカ)

    銀行員でありながら人間味がある。

    企業再生に向き合う姿が印象的だった。

    気付けば人格形成にも影響していた

    気付けば、

    横浜も、

    歴史も、

    投資も、

    好きになったきっかけを辿ると、

    そこには柴田恭兵さんが演じた誰かがいた。

    もちろん、

    私は本当の柴田恭兵さんを知っているわけではない。

    好きなのは、

    柴田恭兵さん本人ではなく、

    柴田恭兵さんが演じた人物たちなのだと思う。

    情に厚く、

    面倒見が良く、

    少しお茶目で、

    そして少し女好き。

    そんな人間になりたいと思いながら、

    気付けば50代になっていた。

    でも、

    今振り返ると悪くない。

    憧れた人物に少しだけ近づけている気がするからだ。

    人生はまだ終わらない。

    50代。

    まだ終わらない。

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    ダイアナ・ロスのコンサートに行った日

  • 50代,Kアリーナ横浜に惹かれた理由|ダイアナ・ロスという選択肢

    50代,Kアリーナ横浜に惹かれた理由|ダイアナ・ロスという選択肢

    感情はある。でもどこか達観している

    私は感情の起伏が大きい方だと思う。

    うれしい時は喜ぶ。

    嫌なことには怒る。

    悲しい時は泣くし、
    楽しい時はちゃんと笑う。

    決して感情表現が苦手なわけではない。

    でも、
    どこか達観している部分もある。

    例えば恋愛でも、
    昔から自分自身を少し遠くから見ている感覚があった。

    当事者なのに、
    どこか客観視している。

    離婚した時も、
    メンタルはかなり引きずった。

    でも同時に、
    「まあ、しょうがないか」
    と受け入れている自分もいた。

    だから私は、

    「好きで好きでしょうがない」

    という感覚が、
    正直あまりよく分からない。

    「推し活」がよく分からなかった

    私は、
    いわゆる「推し活」というものがよく分からない。

    もちろん、
    好きな音楽はある。

    カラオケも好きだ。

    でも、
    コンサートというものには、
    人生でほとんど縁がなかった。

    そんな私に、
    ここ数年で20代の部下が二人できた。

    一人はK-POPの追っかけ。

    もう一人はジャニーズの追っかけ。

    何口もファンクラブに入り、
    全国へライブに行く。

    正直、
    気持ちはまったく分からない。

    でも逆に、
    私は少し興味を持った。

    「コンサートって、そんなにすごいものなのか」と。

    Kアリーナ横浜に惹かれた

    私はみなとみらいへ引っ越してから、
    ずっと気になっていた場所がある。

    Kアリーナ横浜だ。

    会社帰り。

    休日。

    ライブ終わりの人たちが、
    ものすごい数で駅へ向かっていく。

    私はそれを見ながら、

    「この施設を体験してみたい」

    と思うようになった。

    だから最初に入ったのは、
    アーティストのファンクラブではない。

    Kアリーナクラブだった。

    その話をすると、
    部下には笑われた。

    「順番おかしいですよ」

    と。

    でも私の中では、
    まず“Kアリーナに行きたい”が先だった。
    コンサートは、
    その次だった。

    ダイアナ・ロスという選択

    Kアリーナクラブに入り、
    送られてくる先行販売情報を見ていた。

    その中で、
    私の心が動いた。

    ダイアナ・ロス。

    82歳。

    11年4か月ぶりの来日公演。

    私は思った。

    「これはもう、
    次はないかもしれない」

    と。

    その気持ちが、
    背中を押した。

    エンタメ大国アメリカの、
    レジェンド級の歌姫。

    Kアリーナの音響も体験できる。

    私が知っている曲は、

    「If We Hold On Together」
    「Baby Love」

    そのくらいだった。

    帰宅後、昔のベストアルバムを流しながら余韻に浸っていた。

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    私が知っていた曲は多くない。
    でも、だからこそ逆に、
    「もっと聴いてみよう」
    と思えた気がする。

    だから少し不安もあった。

    本当のファンのように、
    心から楽しめるのだろうか。
    そんなことも考えていた。

    “体験してみる”ということ

    6月には、
    ゆずのクラシックコンサートにも行く予定だ。

    こちらは座って聴けるらしいので、
    少し安心している。

    そして私は、
    50代にして初めてコンサートへ行った。

    さらに後から知ったのだが、
    Kアリーナクラブには、
    ヒルトン横浜のエグゼクティブラウンジ利用プランまであったらしい。

    正直、
    申し込めばよかったと少し後悔している。

    でも、
    そういうことも含めて面白い。

    私は今、
    音楽そのものだけではなく、

    「体験」を楽しみ始めている気がする。

    50代で初めてのことをする

    50代で初めてのことをする

    若い頃は、
    「今さら」
    と思っていた。

    でも50代になると逆に思う。

    「今だからこそ、
    やってみよう」

    と。

    人生は、
    経験したことだけではできていない。

    やっていないことの方が、
    まだまだ多い。

    だから私は、
    これからも少しずつ、
    やったことのないことを経験していきたいと思う。

    感じたままを、
    ここに記していきたい。

    人生はまだ終わっていない。

    50代。

    まだ終わらない。

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    ▶︎ 50代でブログとXを始めた理由|人生再設計の発信
    ▶︎ 50代でソロキャンプを始めた理由|自分を取り戻した話
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  • みなとみらいの家賃と生活費はいくら?|50代で暮らして分かったリアル

    みなとみらいの家賃と生活費はいくら?|50代で暮らして分かったリアル

    川崎を出て暮らすのは、これが初めてだった。

    気づけば、人生のほとんどをこの街で過ごしてきた。

    みなとみらいへの引っ越し。

    それは単なる移動ではなく、
    人生の選択だった。

    50代での一人暮らし。
    家賃は20万円台。

    実際に暮らしてみて分かった、
    みなとみらいのリアルを書いていきたい。

    引っ越し初日、感じた違和感

    正直、ワクワクもあった。

    違和感もあった。

    そして、少しのさみしさもあった。

    憧れていた街のはずなのに、
    思っていた感覚と、どこか違う。

    夜になると人は少なく、
    静かすぎる空気が流れていた。

    家に帰っても、まだ落ち着かない。

    閑静な環境に、なじめない自分がいる。

    広さも、生活も、今までと違う。
    通勤も遠くなった。

    これからの生活に、少しだけ不安がよぎる。

    本当に、この選択で良かったのか。

    そう思った瞬間もあった。

    それでも──

    朝、窓を開けたときに見えた景色で、
    その迷いは、少しだけ消えた。 私は、ここで生きていくと決めた

    みなとみらいの夜と週末の顔

    平日の夜は、人が少ない。

    静かで、どこか落ち着かない。

    だが、週末になると一変する。

    街は一気ににぎやかになる。 この“ギャップ”は、
    最初は戸惑いだったが、今は心地よい。

    家賃20万円台でも、生活は変わらない

    みなとみらいのスーパーの惣菜コーナー割引シール付き弁当
    みなとみらいのスーパー揚げ物コーナー値引きされた惣菜が並ぶ様子
    みなとみらいのスーパーで割引シールが貼られたパンとおにぎり節約した日常の買い物

    引っ越してすぐ、近くのスーパーに行った。

    正直、少し安心した。

    現実は変わらない。

    家賃は20万円台。

    だからこそ、
    オフシールの商品を手に取る。

    会社帰りにはドラッグストアにも立ち寄る。

    そこでも、割引された商品を選ぶ。

    みなとみらいに住んでいても、
    生活は地に足がついている。 それが、少しだけ心地よかった。

    この街には、もう一つの顔がある

    みなとみらいは静かな街だと思っていた。

    でも少し足を伸ばせば、
    桜木町や野毛には、にぎやかな世界が広がっている。

    コスパよく飲める店も多い。

    この街は、思っていたよりずっと
    “生活できる場所”だった。

    川崎と横浜、利便性の違い

    川崎も、十分に便利な街だった。

    でも、みなとみらいに住んでみて思った。

    便利さの“次元”が違う。

    横浜駅と桜木町、その中間にあるこの場所は、
    ほぼすべての路線にアクセスできる。

    日常の行動範囲が、一気に広がった。

    ここに住んでみて初めて分かった。

    移動の自由は、
    そのまま生活の自由になる。

    便利さは、時間の余裕に変わる。

    それは想像以上に、大きな価値だった。

    ただ一つだけ。

    会社だけは、少し遠くなった。 正直、そこだけは不便だ。

  • 50代の引っ越しは想像以上に大変だった|みなとみらい移住のリアル体験

    50代の引っ越しは想像以上に大変だった|みなとみらい移住のリアル体験

    住宅売却が決まり、
    私は17年住んだ家を離れることになった。

    みなとみらいへの引っ越し。

    それは単なる移動ではなく、
    人生の整理だった。

    50代での引っ越しは、
    想像以上に“現実”だった。

    今回は、そのリアルを書いていきたい。

    すべてが動き出した日

    住宅売却が決まった。

    11月、内覧に来たのは
    私と同じくらいの年齢のご夫婦だった。

    17年間住んだこのマンションを、
    とても気に入ってくれた。

    「このまま住めそうですね」

    奥様のその一言が、強く印象に残っている。

    正直、契約が決まるまでは分からないと思っていた。

    だが結果は、希望額満額での購入。

    12月に手付、2月に引き渡し。

    住宅売却を決意してから、実に3年弱。

    高額な売却ほど、焦って決めない方がいい。

    それが率直な実感だった。

    17年分のモノと向き合うという現実

    大量の漫画が並ぶ本棚 長年蓄積されたモノの象徴

    17年という年月。

    しかも80平米弱の空間に、
    ほぼ一人で住んでいた。

    想像以上に「モノ」は溜まっていた。

    元妻や子どもたちのものも、
    まだ多く残っていた。

    見た目は綺麗に保っていたが、
    収納の中は別だった。

    押し入れやクローゼットに、
    見ないふりをして詰め込んでいたもの。

    子どもの荷物。
    元妻のCDや雑貨。

    すべてが、そのまま残っていた。

    今回の引っ越し先は、
    みなとみらいの50平米。

    物理的に考えても、
    持っていける量は限られている。

    その中で残したのは

    ・子どもの思い出の品
    ・キャンプ用品
    ・そして、最後まで迷った漫画

    高校時代、一度大量に処分したことがある。

    それでも今回は、捨てられなかった。

    モノは、過去を保存する。

    引っ越しは「作業」ではなく戦略だった

    まずやることを整理した。

    ・不用品の処分
    ・荷物の仕分け
    ・新居の準備
    ・旧居の清掃

    シンプルだが、やることは多い。

    不動産会社の紹介業者に見積もりを依頼すると、
    15万円以上と言われた。

    そして驚いたのは、

    家の中のものは、ほとんどお金にならない

    という現実だった。

    当時は新品で揃えた家具も、
    ほぼ価値がつかない。

    大型家具は、すべて有料処分だった。

    お金は取り返せる

    そこで動いた。

    売れるものは、すべてメルカリで販売。
    結果、約10万円。

    メルカリで売却した商品の履歴 不用品を現金化した結果

    衣類はリユースショップへ。

    そして、引っ越し業者との交渉。

    見積もりは複数社で取るべきだ。

    引っ越し費用は、
    業者によってかなり差が出る。

    私は複数社で見積もりを取り、
    最終的に10万円以上コストを下げることができた。

    👉 引っ越し費用は動けば下げられる。

    そのためにやるべきことは、これだけです。

    複数社見積もり

    👇私が使ったのはこれ


    もしこれから引っ越しを考えているなら、無料で引越し見積もりを比較する(複数社一括)だけはやっておいた方がいいと思う。


    特に重要なのは「時期」。

    3月は1.5〜2倍。
    2月中旬までが勝負。

    私は営業職なので、
    値下げ交渉はある程度理解している。

    現場ではなく、判断を持つ人間と話す。

    無理は通らないが、
    「あと一歩」は引き出せる。

    10万円は、自分で動けば変えられる

    ここからが本番だった。

    洗濯機と冷蔵庫を購入し、
    担当者にインセンティブを付けた。

    その代わりに

    ・粗大ごみ置き場までの運搬をサービス
    ・廃棄は自分で対応

    結果、10万円以上のコスト削減。

    結局一番大事なのは、

    自分で動くこと

    これに尽きる。

    引っ越しは、終わらない

    2月17日、引っ越し当日。

    だが、それで終わりではなかった。

    荷物を運び出した後も、
    掃除が残っている。

    引き渡しは2月26日。

    その間、
    簡易ベッドと寝袋で生活しながら、
    旧居の掃除を続けた。

    ほぼ1週間、まともに寝ていない。

    17年ぶりの引っ越しは、
    想像以上に過酷だった。

    持たないと決めた理由

    引っ越し前のみなとみらいの床に白いタイルをひく様子

    ちなみに自分は最初にサンプルを取り寄せました👇

    色味は写真と実物で結構違うので、ここは絶対やった方がいいです。

    ▶ フロアタイルのサンプルはこちら(数百円で試せます)

    正直、これやらないと「思ってた色と違う」ってなります。

    実際に使って一番良かったのがこれ👇

    ▶ 今回使ったフロアタイルはこちら(6畳)

    ・賃貸OK(原状回復可)
    ・工事不要
    ・1人で設置できる

    正直、これだけで部屋の印象が一気に変わりました。

    貼るだけでここまで変わります。

    👉 追記(実際に使ってわかったこと)

    部屋の角の部分やすみなどをカッティングして調整するのですが少しづれます。

    正直、最初は「鬼ピタ(超強力タイプ)」も使いました。

    ただこれが問題で、

    ・粘着が強すぎる
    ・厚みがある
    ・ズレは防げるが扱いにくい

    結果として、賃貸ではちょっとオーバースペックでした。

    マステを貼りその上にこれを引いて固定しました。

    ¥1,500前後その後に使ったのがこのクッションフロアテープ👇

    セメダイン クッションフロアテープ TP-145

    👉 薄くて扱いやすい
    👉 必要十分な固定力
    👉 きれいに剥がせる

    結論としては、

    👉 これくらいがちょうどいい

    今回の引っ越しで、はっきりと理解した。

    モノは、増える。

    そして、必ず自分に返ってくる。

    持っている限り、
    過去は終わらない。

    これからは、

    持たない生活を意識する

    そう心に刻んだ。

    人生はまだ終わっていない。
    50代。まだ終わらない。

    今回の引っ越しで、
    「持たない」だけで人生はかなり変わると実感しました。

    その一歩として、
    まずは環境を変えるのが一番早いです。

    実際に使って良かったフロアタイルはこちら👇

    ▶ 今回使ったフロアタイルはこちら(6畳)

  • 50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現した方法

    50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現した方法

    私は50代で、みなとみらいに住むという選択をした。

    年収770万円。

    家賃は20万円台。

    一般的には、無謀な選択かもしれない。

    住宅売却、生活環境の変化、そしてコロナ。
    人生の価値観が、大きく変わった出来事が重なった。

    この記事では、
    憧れだった街「みなとみらい」に住むことを決めた理由と、
    実際に暮らして感じていることを書いてみたい。

    みなとみらいの夕焼けと観覧車

    みなとみらいは、ずっと憧れの街だった

    みなとみらいは、ずっと憧れの街だった。

    みなとみらいのビル群と水面反射の風景

    高校時代。
    まだ桜木町しかなかった頃。

    ガード下の定食屋で、
    のりたま定食350円を食べていた。

    あの街が、こんな姿になるなんて。
    誰が想像しただろう。

    大学時代、何度もデートで訪れた。
    来るたびに、憧れは少しずつ強くなった。

    けれど新築価格は6000万円前後。

    私には届かない世界だった。

    気にしないふりをしていた。

    コロナが人生の価値観を変えた

    コロナに罹り、
    「人生がここで終わるかもしれない」と思った。

    そのとき、押し込めていた思いが浮かんだ。

    みなとみらいに住みたい。

    住宅売却と生活の大きな変化

    当時の年収は770万円。
    家賃は20万円台。

    一般論で言えば、身の丈には合っていない。

    正直、住宅売却がなければ
    この選択はできなかったかもしれない。

    80平米の分譲マンションを手放し、
    50平米の賃貸へ。

    車も売却した。
    通勤は遠くなった。

    それでも、私は選んだ。

    感情だけではない。
    準備もした。
    計算もした。

    だから、踏み出した。

    「想いの強い人が住む街」

    不動産会社の担当者に言われたことがある。

    「人気エリアなので、賃貸でも取り合いになります。
    でも最終的に決まるのは、想いの強い方が多い気がします。」

    その言葉を聞いたとき、
    少しだけ救われた気がした。

    私は、確かにここに住みたいと思っていた。

    みなとみらいで暮らす日常

    みなとみらいの桜と観覧車が見える春の景色

    朝の臨港パーク。
    山下公園までの散歩。

    桜木町から夜景を見ながら帰る帰路。

    みなとみらいの夜景とライトアップされた観覧車

    休日は紅葉坂の県立図書館へ。

    ぴおシティや野毛で飲み歩く。
    横浜駅までも徒歩圏。

    そして何より、
    免許証の住所が「みなとみらい」。

    それだけで、心が満たされる。

    みなとみらいの桜並木と歩道の風景

    50代で「みなとみらいに住む」という選択

    正直、私の年収では
    一般的には住むべきではない場所かもしれない。

    でも今の私は、
    切り詰めてでも住む価値があると感じている。

    コロナがなければ、
    私はこの景色を知らずに終わっていたかもしれない。

    この街は、誰にでも優しいわけじゃない。

    でも、強く願った人間には、ちゃんと応えてくれる。

    だから私は、ここで生きている。


    人生は、まだ終わっていない。

    50代。

    まだ終わらない。


    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択←今ここ
    外車に乗る夢と手放す勇気
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • 50代でマンション売却を決断|住宅購入から売却までのリアル体験|再設計の記録

    50代でマンション売却を決断|住宅購入から売却までのリアル体験|再設計の記録

    川崎市マンション リビング

    50代で住宅売却を決断した理由

    私は川崎市出身。
    生まれも育ちも川崎です。

    世間的にはあまり良いイメージを持たれないこともあります。

    ですが下町の雰囲気が残るこの街が私はとても好きです。

    大学を卒業した後、しばらくフラフラしていた私に小さな命が授かりました。
    2001年。当時は世紀末が過ぎ、少しだけ子どもの出生率が上がった時代だったと記憶しています。私は25歳でした。

    これも運命だと思い、結婚し、今の会社にお世話になることになりました。

    マンション購入までの経緯

    最初は実家の近くで、私より年齢のいった賃貸マンションの2Kに住み始めました。家賃も交渉して少し下げてもらい、そこで新しい生活をスタートしました。

    やがて二人目の子どもができ、いよいよこの家では暮らせないという話になりました。
    当時30歳。収入も決して高くはありませんでしたが、双方の親の援助もあり、2007年に川崎区内で新築マンションを購入することになりました。

    今振り返ると、収入が多くないのにマンションを購入したことが、離婚の一因になった部分もあると思います。

    私は2001年に結婚し、2001年に就職し、2001年に子どもが生まれました。
    正直、今思い返しても当時は人生をゆっくり考える余裕がありませんでした。

    責任が生まれ、仕事では稼がなければならない。
    家に帰れば子どもは泣いている。
    妻は九州から出てきたばかりで、頼れる人も少ない。

    そんな状況でマンションまで購入してしまい、心のバランスが取れるはずがありませんでした。

    そして2012年、マンションを購入して5年後に離婚しました。
    息子が小学校1年生になるタイミングで、妻は子どもたちを連れて福岡へ戻りました。

    当時、息子と娘を一人ずつ引き取るという話も出ました。
    しかし、小さな兄弟を別々に暮らさせるのはどうなのかという話になり、妻が二人とも引き取ることになりました。

    それからは、夏休みのたびに子どもたちだけでこちらに来てくれるようになりました。
    ディズニーランドやキッザニアなど、いろいろな場所へ連れて行きました。

    そんな子どもたちが、5年しか住んでいなかった家に戻ってくるたびに

    「この家、落ち着く〜」

    と言うのです。

    その言葉を聞くたびに、一人では広すぎる80㎡弱のマンションを手放すことができませんでした。

    やがて娘は福岡で就職し、今年で25歳。
    息子も早生まれなので、数えで今年20歳になります。

    正直、いつかこちらに戻ってくるかもしれない。
    そんな思いもあり、なかなか家を手放す決断ができませんでした。

    しかし、住宅売却を考える大きなきっかけになったのは、2021年に猛威を振るったコロナでした。

    コロナ禍の中で、私自身も感染しました。
    その経験をきっかけに、人生について深く考えるようになりました。

    最初の売却チャレンジ(2023年)

    最初に売却を考えたのは2023年。


    コロナが落ち着き始めた頃でした。

    マンション キッチン

    キャンプブームやリモートワークの普及により、郊外の広めの住宅に注目が集まり、地価が上がっているのではないかと思ったことも理由の一つです。

    購入価格は3030万円。


    不動産会社にマンション売却の査定を依頼すると、4350万円という査定を出す会社もありました。

    川崎市マンション リビング

    その中から、以前から定期的に連絡をくれていたS不動産のNさんにお願いすることにしました。
    父の実家が鹿児島で、その方も鹿児島出身だったため、不思議な縁を感じたのも理由でした。

    ただ、この時私はまだ知りませんでした。

    不動産の査定額には、責任がないということを。

    査定額が高いからといって、その価格で売れる保証はありません。
    価格を決めるのも、売却するかどうかを決断するのも、すべて自分なのです。

    正直「言ったもの勝ちじゃないか」と思いました。

    さらに、縁を感じていた営業の方は4月に異動。
    担当者も変わり、不信感がMAXになったのを覚えています。

    売却価格4180万円の現実

    最終的にS不動産の査定は4180万円。
    この価格で販売することにしました。

    写真撮影や設備確認など、売却前にはやることがたくさんあります。
    さらにSUUMOなどに掲載されると、週末はほぼ自宅にいながら内覧対応。

    10組以上の方が見に来ました。
    2023年は中国の方が多かった印象です。

    しかし3か月の専任契約で出た最高価格は

    3700万円

    リフォーム業者と中国人の方でした。

    4180万円と言われていたのに3700万円。
    その差は480万円。

    不動産の査定価格と実査の売却価格には、大きな差が出ることもあります。

    正直かなり迷いましたが、売却を一旦保留することにしました。

    再チャレンジと価格戦略

    2024年2月頃、今度はこのマンションを購入した時にお世話になったN社に依頼しました。

    しかし内覧は2件だけ。
    写真も営業マンが簡単に撮る程度。

    正直「こんな対応で売れるのか」と思いました。

    そこで2024年秋、再び最初の不動産会社に相談し、もう一度販売することにしました。

    そして価格は

    3980万円

    この価格には意味があります。

    SUUMOなどの検索では

    • 3000万円台
    • 4000万円台

    という区分で検索されます。

    つまり

    「川崎 × 3000万円台」

    という検索にヒットしやすくなるのです。

    マンション ベランダ

    そして2024年12月

    私と同年代くらいのご夫婦が内覧に来ました。
    旦那さんは自衛官の方でした。

    特に奥さんがこの家をとても気に入ってくれて

    「17年住んでいてこんなに綺麗なのはすごい」

    と言ってくれました。

    しかも

    値引きなしで購入

    してくれました。

    組み立て式の棚やベランダの家具まで、そのまま引き取ってくれました。

    50代のマンション売却は人生の大きな決断でした。

    住宅売却は本当に

    縁とタイミング

    だと実感しました。

    引っ越しと引き渡し

    2024年12月契約
    2025年2月17日引っ越し
    2月26日売却

    ただ、引っ越し後も長年の汚れが気になり、1週間ほど元の家に寝泊まりして片付けをしました。

    売却から引き渡しまでには、余裕を持ったスケジュールをおすすめします。

    そしてこうして、ようやく私は身軽になることができました。


    人生は、まだ終わっていない。
    50代。まだ終わらない。

    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断←いまここ
    みなとみらいに住むという選択
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    タグホイヤーを子供に渡す、その理由