50代になって思う。個人主義と利己主義は違う|残すべき日本の良さ、変えるべき価値観

50代で個人主義と利己主義を考える自分のAIで生成したイラスト

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最近、自分の考えは少数派なのかもしれないと思う

最近、生きていてかなり思うことがあります。

なんとなく、

「自分の考え方は少数派なのではないだろうか」

と感じることが増えました。

だからなのか、以前より少し生きづらい世の中になったようにも感じます。

先日Xにも書きましたが、最近は、

「みんなはどう思う?」

という形の投稿をよく見かけます。

それだけ一人ひとりの価値観が違い、何が正解なのかを一つに決めにくい時代になったということなのかもしれません。

多様化が進み、

自分に合った働き方。

自分に合った生き方。

自分らしさ。

そういったものを大切にする考え方が広がりました。

私は、それ自体はとても良いことだと思っています。

ただその一方で、

みんなが共有していた「これくらいは分かるよね」という感覚も、少しずつ薄れてきたように感じることがあります。

就職氷河期世代は、二つの価値観の間を生きてきた

私たち就職氷河期世代は、まさに価値観が大きく変わる時代を生きてきた世代だと思います。

私たちより上の世代には、高度経済成長期やバブル期を経験した人たちが多くいました。

今振り返ると、

「言わなくても分かるよね」

「見て覚えろ」

「若いんだからやれ」

そんな空気も珍しくありませんでした。

説明は十分にされない。

仕事は丸投げされる。

その割には、うまくいかなければ責任はこちらに来る。

今なら問題になるような叱責や、パワハラに近いことも普通にありました。

もちろん、そんな時代に戻りたいとは思いません。

きちんと説明する。

相手を尊重する。

ハラスメントに気をつける。

これは明らかに良くなった部分です。

ところが、自分たちが上司や管理する立場になる頃には、今度は逆に、部下へ指示を出すことにもかなり気を遣う時代になりました。

そう考えると私たちの世代は、

「昔の常識」と「今の常識」の両方を体験してきた世代

なのかもしれません。

だからこそ、

昔の悪いところは捨てる。

でも、昔の良かったところまで全部捨てる必要はない。

最近は、そんなことを考えるようになりました。

私が求めているのは、完璧な対応ではない

先日、会社帰りにマクドナルドへ寄りました。

持ち帰りで、ビッグマックのセットと単品のマックチキンを注文しました。

すると、ビッグマックのセットだけ先に袋へ入れて渡され、

「マックチキンはもう少々お時間がかかります」

と番号札も一緒に渡されそうになりました。

私は立ったまま待つことになります。

そこで我慢できず、

「全部できてから一緒に渡してもらえますか」

と言ってしまいました。

これ自体は、本当に小さな出来事です。

ただ私は、

「持ち帰りの客に、先に荷物を持たせて待たせたらどう感じるだろう」

と、一度考えてもらえたら違うのになと思いました。

別の日には、花火大会の会場を事前に下見したときのことです。

持っているチケットがどの場所なのか分からず、現地の方に尋ねました。

もちろん、その人が分からないこと自体はまったく問題ありません。

「私たちでは分かりかねます」

それで十分です。

でも、質問しているこちらをそのままにして作業へ戻られてしまうと、

「回答を待っていていいのかな」

と、こちらは分かりません。

私が求めているのは、完璧な接客ではありません。

分からなければ、

「分かりません」

でいい。

時間がかかるなら、

「少しお待ちください」

でいい。

ただ、

目の前にいる相手が今どういう状態なのかを、一度だけ想像してほしい。

私が最近感じている違和感は、もしかするとそこなのかもしれません。

個人主義と利己主義は、似ているようで違う

利己主義と個人主義の違いの説明イラスト。

私は「自分を大切にする」という考え方には賛成です。

自分の人生は、自分のものです。

嫌なことをすべて我慢する必要もない。

無理をして他人に合わせ続ける必要もない。

でも、

「自分を大切にする」と「他人のことはどうでもいい」は、同じではないと思っています。

自分も大切。

相手も大切。

自分の人生も尊重する。

相手の人生も尊重する。

自由には責任も伴う。

私は、それが本来の個人主義なのではないかと思っています。

一方で、

自分さえ良ければいい。

自分の利益や快楽だけを優先する。

責任を負いたくない。

周りが困っていても関係ない。

これは、個人主義ではなく利己主義に近いのではないか。

以前Xで投稿したイラストにも、

「自分を大切にしながら、人を慮る」

という言葉を入れました。

今も、この考え方は変わっていません。

「できない」と「やらない」は違う

私は、自分の性格を考えると、できないことに対しては意外と寛容な方だと思っています。

人には得意不得意があります。

ミスをすることもある。

覚えるのが遅い人もいる。

何度やってもうまくできないことだってあります。

それは仕方がない。

でも、

ごまかすこと。

ずるをすること。

これには昔からかなり抵抗があります。

私の中では、

「できない」と「やらない」は違う。

「間違える」と「ごまかす」も違う。

ここには、かなり明確な線があります。

半沢直樹がなぜ自分に刺さったのか

私の好きなドラマに『半沢直樹』があります。

作中には、私がとても好きな考え方があります。

正しいことを正しいと言えること。

組織の常識と世間の常識が一致していること。

そして、

ひたむきで誠実に働いた人が、きちんと評価されること。

私は、この考え方に強く共感しました。

だからその後しばらく、池井戸潤さんの作品をかなり読むようになりました(笑)。

半沢直樹という人物は、

「やられたらやり返す」

という強烈な部分ばかりが注目されます。

でも私は、それだけではないと思っています。

受けた恩は忘れない。

助けてくれた人には報いる。

仲間を大切にする。

理不尽なことには立ち向かう。

そんな部分にも、私は惹かれたのだと思います。

日本に古くからある「不文律」を私は大切にしている

私は、日本に古くからある「不文律」という考え方をかなり大切にしています。

法律や会社の規則のように、明文化されているわけではない。

でも、

「こういう場面では、こう振る舞うものだよね」

と、多くの人がなんとなく共有してきた考え方です。

例えば、

目上の人を敬う。

先輩を立てる。

相手の立場を考える。

その場の空気を読む。

公共の場では周囲に迷惑をかけない。

何かしてもらったら感謝する。

受けた恩には、できる範囲で返す。

お互いに気を遣いながら関係を築いていく。

こうしたものも、日本社会の中で長く受け継がれてきた文化なのだと思います。

もちろん、私は不文律をすべて肯定しているわけではありません。

不文律にも、残すものと変えるものがある

例えば、

「先輩なんだから絶対に正しい」

「上司の言うことには逆らうな」

「みんなが我慢しているんだから、お前も我慢しろ」

「空気を読んで自分の意見を言うな」

こうなってしまえば、不文律は人を縛るものになります。

同調圧力。

理不尽な上下関係。

必要以上の我慢。

自分の考えを言えない空気。

こういった部分は、時代に合わせて変えていけばいいと思っています。

でも私は、

悪い部分を変えることと、全部捨てることは違う

と思っています。

例えば「目上の人を敬う」という考え方。

年齢が上だから無条件に偉いとは思いません。

間違っていることは、年上であっても間違っています。

でも、自分より長く生きてきた人や、多くの経験を持っている人に敬意を持って接することまで、古い考え方なのでしょうか。

私はそうは思いません。

「空気を読む」ことも悪いことばかりではない

「空気を読む」という言葉も、最近は少し悪い意味で使われることがあります。

確かに、

自分の意見を言わずに周囲へ合わせる。

嫌なことでも我慢する。

誰も異論を言えない。

そんな「空気を読む」は必要ないと思います。

でも、

目の前の人が困っていることに気づく。

今、自分が話すべきなのかを考える。

自分の行動で誰かが不快にならないか考える。

誰かが手を貸してほしそうなら、一歩先に動く。

これも広い意味では「空気を読む」ことだと思います。

それはむしろ、

察する力であり、気づく力であり、思いやりなのではないか。

私はそう考えています。

「和」を大切にする意味も変えていい

日本には、

「和を以て貴しとなす」

という言葉があります。

昔のように、

みんな同じ考えでなければならない。

集団のために個人が我慢しなければならない。

という意味で「和」を使う必要はありません。

今の時代なら、

意見が違っていてもいい。

生き方が違っていてもいい。

価値観が違っていてもいい。

それでも、

相手を尊重する。

話を聞く。

どうすれば一緒にやっていけるかを考える。

私は、

「みんな同じ」から「違っていても共に生きる」へ

「和」の意味そのものをアップデートしていけばいいのではないかと思っています。

日本の良さを残しながら、アップデートしていく

私は昔の日本に戻りたいわけではありません。

理不尽な上下関係はいらない。

パワハラもいらない。

過度な同調圧力もいらない。

自分を犠牲にしてまで組織に尽くす必要もありません。

でも、

人を敬う。

相手を慮る。

人に迷惑をかけないようにする。

受けた恩を忘れない。

困っている人がいれば助ける。

自分だけが良ければいいとは考えない。

こうしたものまで、

「古い価値観」

として捨ててしまうのは違うように思います。

昔の日本にあったものを、そのまま守る必要はない。

でも、全部壊す必要もない。

残すべきものは残す。

変えるべきものは変える。

そして、今の時代に合う形へ作り直す。

考えてみれば、

これも一つの「再設計」なのかもしれません。

「正直な再設計」という名前にも、自分の価値観が出ていた

このブログのタイトルは、

「正直な再設計」

です。

最初は、自分の人生をもう一度設計し直すという意味で付けました。

でも50本以上記事を書いてきて、自分の考えを言葉にしているうちに、

「正直」という言葉にも、自分の性格がかなり表れているのかもしれないと思うようになりました。

できないなら、

「できない」

と言えばいい。

分からないなら、

「分からない」

と言えばいい。

失敗したなら、

「失敗した」

と言えばいい。

それでも前へ進めばいい。

私が嫌なのは、

できるふりをすること。

分かっているふりをすること。

人のせいにしてごまかすこと。

そういう部分なのだと思います。

自分を大切にしながら、人を慮る

私はこれからも、自分が正しいと思うことは発信していきたいと思っています。

もちろん、

自分がいつも正しいとは思っていません。

だからこそ、

「自分の常識が、世間の常識とずれていないだろうか」

ということも、これから確認し続けたい。

誰かを否定するためではありません。

自分がどう生きたいのか。

どんな社会で生きたいのか。

それを自分なりに考えていきたいのです。

まだまだ私一人の力は小さいです。

それでも、

正しいことを正しいと言える。

誠実に働いた人が、きちんと評価される。

自分を大切にしながら、相手のことも大切にできる。

そんな社会に、ほんの少しでも近づいていけばいいなと思っています。

個人を大切にすることと、利己的に生きることは違う。

昔の価値観をすべて守る必要もない。

今の価値観をすべて正しいと思う必要もない。

何を残すのか。

何を変えるのか。

何を新しく取り入れるのか。

それを自分自身で考えていく。

50代になった今、私はそんな生き方をしていきたいと思っています。

自分も大切。

相手も大切。

そして、

自分を大切にしながら、人を慮る。

それが、これからの時代にも残していきたい日本の良さなのだと思います。

人生は終わらない。

50代。

まだ終わらない。

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