投稿者: shinobu_admin

  • みなとみらいの家賃と生活コスト|50代で暮らして分かったリアル

    みなとみらいの家賃と生活コスト|50代で暮らして分かったリアル

    川崎を出て暮らすのは、これが初めてだった。

    気づけば、人生のほとんどをこの街で過ごしてきた。

    みなとみらいへの引っ越し。

    それは単なる移動ではなく、
    人生の選択だった。

    50代での一人暮らし。
    家賃は20万円台。

    実際に暮らしてみて分かった、
    みなとみらいのリアルを書いていきたい。

    引っ越し初日、感じた違和感

    正直、ワクワクもあった。

    違和感もあった。

    そして、少しのさみしさもあった。

    憧れていた街のはずなのに、
    思っていた感覚と、どこか違う。

    夜になると人は少なく、
    静かすぎる空気が流れていた。

    家に帰っても、まだ落ち着かない。

    閑静な環境に、なじめない自分がいる。

    広さも、生活も、今までと違う。
    通勤も遠くなった。

    これからの生活に、少しだけ不安がよぎる。

    本当に、この選択で良かったのか。

    そう思った瞬間もあった。

    それでも──

    朝、窓を開けたときに見えた景色で、
    その迷いは、少しだけ消えた。 私は、ここで生きていくと決めた

    みなとみらいの夜と週末の顔

    平日の夜は、人が少ない。

    静かで、どこか落ち着かない。

    だが、週末になると一変する。

    街は一気ににぎやかになる。 この“ギャップ”は、
    最初は戸惑いだったが、今は心地よい。

    家賃20万円台でも、生活は変わらない

    みなとみらいのスーパーの惣菜コーナー割引シール付き弁当
    みなとみらいのスーパー揚げ物コーナー値引きされた惣菜が並ぶ様子
    みなとみらいのスーパーで割引シールが貼られたパンとおにぎり節約した日常の買い物

    引っ越してすぐ、近くのスーパーに行った。

    正直、少し安心した。

    現実は変わらない。

    家賃は20万円台。

    だからこそ、
    オフシールの商品を手に取る。

    会社帰りにはドラッグストアにも立ち寄る。

    そこでも、割引された商品を選ぶ。

    みなとみらいに住んでいても、
    生活は地に足がついている。 それが、少しだけ心地よかった。

    この街には、もう一つの顔がある

    みなとみらいは静かな街だと思っていた。

    でも少し足を伸ばせば、
    桜木町や野毛には、にぎやかな世界が広がっている。

    コスパよく飲める店も多い。

    この街は、思っていたよりずっと
    “生活できる場所”だった。

    川崎と横浜、利便性の違い

    川崎も、十分に便利な街だった。

    でも、みなとみらいに住んでみて思った。

    便利さの“次元”が違う。

    横浜駅と桜木町、その中間にあるこの場所は、
    ほぼすべての路線にアクセスできる。

    日常の行動範囲が、一気に広がった。

    ここに住んでみて初めて分かった。

    移動の自由は、
    そのまま生活の自由になる。

    便利さは、時間の余裕に変わる。

    それは想像以上に、大きな価値だった。

    ただ一つだけ。

    会社だけは、少し遠くなった。 正直、そこだけは不便だ。

  • 50代の引っ越しは想像以上に大変だった|みなとみらい移住のリアル体験

    50代の引っ越しは想像以上に大変だった|みなとみらい移住のリアル体験

    住宅売却が決まり、
    私は17年住んだ家を離れることになった。

    みなとみらいへの引っ越し。

    それは単なる移動ではなく、
    人生の整理だった。

    50代での引っ越しは、
    想像以上に“現実”だった。

    今回は、そのリアルを書いていきたい。

    すべてが動き出した日

    住宅売却が決まった。

    11月、内覧に来たのは
    私と同じくらいの年齢のご夫婦だった。

    17年間住んだこのマンションを、
    とても気に入ってくれた。

    「このまま住めそうですね」

    奥様のその一言が、強く印象に残っている。

    正直、契約が決まるまでは分からないと思っていた。

    だが結果は、希望額満額での購入。

    12月に手付、2月に引き渡し。

    住宅売却を決意してから、実に3年弱。

    高額な売却ほど、焦って決めない方がいい。

    それが率直な実感だった。

    17年分のモノと向き合うという現実

    大量の漫画が並ぶ本棚 長年蓄積されたモノの象徴

    17年という年月。

    しかも80平米弱の空間に、
    ほぼ一人で住んでいた。

    想像以上に「モノ」は溜まっていた。

    元妻や子どもたちのものも、
    まだ多く残っていた。

    見た目は綺麗に保っていたが、
    収納の中は別だった。

    押し入れやクローゼットに、
    見ないふりをして詰め込んでいたもの。

    子どもの荷物。
    元妻のCDや雑貨。

    すべてが、そのまま残っていた。

    今回の引っ越し先は、
    みなとみらいの50平米。

    物理的に考えても、
    持っていける量は限られている。

    その中で残したのは

    ・子どもの思い出の品
    ・キャンプ用品
    ・そして、最後まで迷った漫画

    高校時代、一度大量に処分したことがある。

    それでも今回は、捨てられなかった。

    モノは、過去を保存する。

    引っ越しは「作業」ではなく戦略だった

    まずやることを整理した。

    ・不用品の処分
    ・荷物の仕分け
    ・新居の準備
    ・旧居の清掃

    シンプルだが、やることは多い。

    不動産会社の紹介業者に見積もりを依頼すると、
    15万円以上と言われた。

    そして驚いたのは、

    家の中のものは、ほとんどお金にならない

    という現実だった。

    当時は新品で揃えた家具も、
    ほぼ価値がつかない。

    大型家具は、すべて有料処分だった。

    お金は取り返せる

    そこで動いた。

    売れるものは、すべてメルカリで販売。
    結果、約10万円。

    メルカリで売却した商品の履歴 不用品を現金化した結果

    衣類はリユースショップへ。

    そして、引っ越し業者との交渉。

    見積もりは複数社で取るべきだ。

    引っ越し費用は、
    業者によってかなり差が出る。

    私は複数社で見積もりを取り、
    最終的に10万円以上コストを下げることができた。

    👉 引っ越し費用は動けば下げられる。

    そのためにやるべきことはこれだけです。

    複数社見積もり

    一括見積はこちら(無料)
    (※A8リンク)

    特に重要なのは「時期」。

    3月は1.5〜2倍。
    2月中旬までが勝負。

    私は営業職なので、
    値下げ交渉はある程度理解している。

    現場ではなく、判断を持つ人間と話す。

    無理は通らないが、
    「あと一歩」は引き出せる。

    10万円は、自分で動けば変えられる

    ここからが本番だった。

    洗濯機と冷蔵庫を購入し、
    担当者にインセンティブを付けた。

    その代わりに

    ・粗大ごみ置き場までの運搬をサービス
    ・廃棄は自分で対応

    結果、10万円以上のコスト削減。

    結局一番大事なのは、

    自分で動くこと

    これに尽きる。

    引っ越しは、終わらない

    2月17日、引っ越し当日。

    だが、それで終わりではなかった。

    荷物を運び出した後も、
    掃除が残っている。

    引き渡しは2月26日。

    その間、
    簡易ベッドと寝袋で生活しながら、
    旧居の掃除を続けた。

    ほぼ1週間、まともに寝ていない。

    17年ぶりの引っ越しは、
    想像以上に過酷だった。

    持たないと決めた理由

    引っ越し前のみなとみらいの床に白いタイルをひく様子

    ちなみに自分は最初にサンプルを取り寄せました👇

    色味は写真と実物で結構違うので、ここは絶対やった方がいいです。

    ▶ フロアタイルのサンプルはこちら(数百円で試せます)

    正直、これやらないと「思ってた色と違う」ってなります。

    実際に使って一番良かったのがこれ👇

    ▶ 今回使ったフロアタイルはこちら(6畳)

    ・賃貸OK(原状回復可)
    ・工事不要
    ・1人で設置できる

    正直、これだけで部屋の印象が一気に変わりました。

    貼るだけでここまで変わります。

    👉 追記(実際に使ってわかったこと)

    部屋の角の部分やすみなどをカッティングして調整するのですが少しづれます。

    正直、最初は「鬼ピタ(超強力タイプ)」も使いました。

    ただこれが問題で、

    ・粘着が強すぎる
    ・厚みがある
    ・ズレは防げるが扱いにくい

    結果として、賃貸ではちょっとオーバースペックでした。

    マステを貼りその上にこれを引いて固定しました。

    ¥1,500前後その後に使ったのがこのクッションフロアテープ👇

    セメダイン クッションフロアテープ TP-145

    👉 薄くて扱いやすい
    👉 必要十分な固定力
    👉 きれいに剥がせる

    結論としては、

    👉 これくらいがちょうどいい

    今回の引っ越しで、はっきりと理解した。

    モノは、増える。

    そして、必ず自分に返ってくる。

    持っている限り、
    過去は終わらない。

    これからは、

    持たない生活を意識する

    そう心に刻んだ。

    人生はまだ終わっていない。
    50代。まだ終わらない。

    今回の引っ越しで、
    「持たない」だけで人生はかなり変わると実感しました。

    その一歩として、
    まずは環境を変えるのが一番早いです。

    実際に使って良かったフロアタイルはこちら👇

    ▶ 今回使ったフロアタイルはこちら(6畳)

  • 20歳の息子へ。時間を渡す日タグホイヤーに込めた再出発の記録

    20歳の息子へ。時間を渡す日タグホイヤーに込めた再出発の記録

    離婚。

    そして再出発。

    ある意味、私の決意の象徴でもある時計がある。

    「タグホイヤー カレラ クロノグラフ キャリバー1887」

    自動巻きの時計だ。

    2010年、タグホイヤー創業150周年を記念し、
    初めて自社開発ムーブメント「キャリバー1887」を搭載したモデル。

    私がこの時計を買ったのは、離婚後だった。

    タグホイヤー カレラ クロノグラフ キャリバー1887 着用写真 自宅

    子供たちは福岡へ。

    私は、ローンの残る分譲マンションに一人残ることを選んだ。

    そこに、子供たちの“帰る場所”を残したかった。

    離婚してもローンを払い続ける。

    養育費も払う。

    それでも前を向く。 そのとき私は、自分なりの再出発を祝いたかった。

    なぜ自動巻きだったのか

    タグホイヤー カレラ クロノグラフ キャリバー1887 着用写真 ホテル

    当時の私は、正直、機械式時計の価値をよく分かっていなかった。

    なぜあんなに高いのか。
    なぜそんなに人を惹きつけるのか。

    でも調べるうちに、分かってきた。

    裏面のスケルトンから見える機械の鼓動。

    ゼンマイがほどけ、歯車が噛み合い、時間を刻む。

    しかもこのキャリバー1887は、
    日本のセイコー技術をルーツに持つ。

    スイスと日本の融合。

    その物語に、私は心を動かされた。

    40万円。

    当時の私には、勇気のいる金額だった。

    でも、時計を受け取ったあの日、

    私は確かに「一歩進んだ」と感じた。

    10年以上の時間

    あれから10年以上が経った。

    小学校入学のときに別れた息子が、
    今年、20歳になる。

    最近はアップルウォッチを使うことが多く、
    この時計を着けるのは冠婚葬祭や大切な場面だけだ。

    でも、私にとっては特別な一本だ。

    私は、だいぶ前から決めていた。 20歳になったら、この時計を渡そうと。

    タグホイヤー カレラ クロノグラフ 箱

    売ってもいい

    娘には言われた。

    「弟、時計とか興味ないよ。」

    正直、迷った。

    でも私は思う。

    良い時計は、時代を超えて受け継がれる。

    それは単なる装飾品ではない。

    そこに刻まれた“時間”ごと、渡すものだ。

    お金に困ったら売ってもいい。

    今は分からなくてもいい。

    でも、いつか。

    息子が私と同じ年齢になったとき、

    「ああ、そういうことだったのか」 と少しでも思ってくれたら、それでいい。

    福岡へ、時間を渡しに行く

    今、私は福岡にいる。

    3月で20歳になる息子に、
    この時計を渡すためだ。

    事前に調べて、
    天神にあるタグホイヤーの店舗へ向かった。

    壊れているわけではない。

    それでも、
    一度しっかり整えた状態で渡したかった。

    オーバーホールと、軽い研磨。

    新品に戻すためではない。

    この時計が刻んできた時間を、
    そのまま次へ渡すための準備だ。

    店に時計を預けたとき、

    少しだけ、不思議な感覚があった。

    自分の中の「一区切り」を、
    形にしているような感覚だった。


    この時計は、
    ただのモノではない。

    私の時間そのものだ。

    そしてそれを、
    今、手放そうとしている。


    私は、手放してきた。

    家も。
    車も。

    そして今。

    時間を、渡す。


    時間を整えるということ

    店舗で説明を受けたとき、

    オーバーホールと軽い研磨で、

    費用は10万円を超えると言われた。
    自社製クロノグラフの整備は、やはりそれなりの金額になるらしい。革ベルトに替えた際に付いた傷の部分が、

    少し錆びているかもしれないとも言われた。 

    これの見出し文字はなんて入れればよいですかね?

    状態によっては、もう少し費用がかかるかもしれない。

    その話をしたとき、息子は驚いていた。

    「修理代、10万円もするの?」無理もないと思う。

    まだ20歳だ。

    でも私は思う。

    これは“修理代”ではない。

    ここまで刻んできた時間を、もう一度動かすための代償だ。

    これからの時間

    家族3人での初めての乾杯 焼肉店 ビール

    このあと、娘と息子と3人で
    初めて一緒に酒を飲む。


    近くの焼肉屋を予約した。


    どんな時間になるかは分からない。


    でもきっと、
    これもまた、忘れない時間になる。


    人生はまだ終わっていない。

    50代。

    まだ終わらない。

    だから私は、渡す。

    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択
    外車に乗る夢と手放す勇気
    タグホイヤーを子供に渡す、その理由←今ここ

  • 【外車に乗る夢と手放す勇気】BMW X1購入と売却で学んだ50代の選択

    すべてが止まっていた2023年

    2023年。
    住宅売却は思うように進まなかった。

    そんな中、
    愛車の日産ジュークが壊れた。

    タイミングは、正直最悪だった。

    売却は決まらない。
    生活は揺れている。

    それでも車は、生活の足だった。

    ジュークは離婚後に中古で買った車。
    独特のフォルムが好きで、愛着もあった。

    だが、状況は待ってくれなかった。

    「100のやりたいこと」を思い出す

    そのとき思い出した。

    昔書いた
    「100のやりたいこと」リスト。

    その中に、確かにあった。

    外車に乗る。

    どうせ揺れているなら、
    ひとつくらい夢を叶えてもいい。

    そう思った。

    100万円以下で探したBMW X1

    条件は現実的に決めた。

    ・100万円以下
    ・コンパクトSUV
    ・鑑定書付き
    ・評価の高い店舗
    ・走行距離少なめ

    そして出会った。

    10年落ち、走行3万5千キロの
    BMW X1。

    エメラルドグリーンとも言える絶妙な色。

    見に行った瞬間に決まった。

    「これだ。」

    中古車販売店と交渉し、
    ・ルーフキャリア装着
    ・前後ドライブレコーダー
    ・新品タイヤ

    夢は、想像以上に現実的な価格で手に入った。
    (購入価格は約70万円弱)

    BMW X1は中古でも現実的な選択だった

    BMW X1は旅の相棒になった

    2023年5月購入。

    そこから2025年2月まで。
    約1万4千キロ。

    普通の会社員をしながら、
    土日だけでこの距離。

    ふもとっぱらでの初キャンプ。
    テント設営に3時間。

    花火大会。
    デート。

    数えきれない週末。

    BMW X1は、
    ただの外車ではなく、
    人生を動かす装置だった。

    ワイパーとウィンカーが逆なのも、
    今では笑い話だ。

    好きだけでは、続かなかった

    みなとみらいに住むと決めたとき、
    現実が突きつけられた。

    駐車場代、月3万5千円。

    維持費。
    保険。
    税金。

    冷静に計算した。

    好きだけでは、続かない。

    私は、また選んだ。

    手放すことを。

    BMW X1売却とリセールの現実

    BMW X1は約70万円弱で購入し、
    約40万円で売却。

    2年間で約30万円の差額。

    数字だけ見れば損かもしれない。

    でも私は、
    1万4千キロの経験を手に入れていた。

    所有ではなく、体験。

    それが残った。

    車を持たない生活へ

    車を手放し、
    baybike。
    カーシェア。

    最初は不安もあった。

    だが実際は、思っていたより自由だった。

    固定費が減ると、
    心が軽くなる。

    50代になって分かった。

    増やすことだけが正解ではない。

    手放す勇気

    若い頃は、
    家を持つ。車を持つ。外車に乗る。
    それが成功だと思っていた。

    でも今は違う。

    必要なときに手に入れ、
    必要がなくなれば手放す。

    それもまた、選択だ。

    そして次へ

    手放したからこそ、次に進める。

    私は、
    ある大切なものを「渡す」と決めた。

    それは、モノではなく、
    想いの継承だった。

    だから私は、“渡す”と決めた。

    (次回:タグホイヤーを子供に渡す話)


    人生はまだ終わっていない。
    50代。
    まだ終わらない。

    だから私は、渡す。

    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択
    ・外車に乗る夢と手放す勇気 ←今ここ
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • 50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現したリアル

    50代で「みなとみらいに住む」という選択|年収770万円でも実現したリアル

    私は50代で、みなとみらいに住むという選択をした。

    年収770万円。

    家賃は20万円台。

    一般的には、無謀な選択かもしれない。

    住宅売却、生活環境の変化、そしてコロナ。
    人生の価値観が、大きく変わった出来事が重なった。

    この記事では、
    憧れだった街「みなとみらい」に住むことを決めた理由と、
    実際に暮らして感じていることを書いてみたい。

    みなとみらいの夕焼け観覧車

    みなとみらいは、ずっと憧れの街だった

    みなとみらいは、ずっと憧れの街だった。

    みなとみらいのビル群と水面反射の風景

    高校時代。
    まだ桜木町しかなかった頃。

    ガード下の定食屋で、
    のりたま定食350円を食べていた。

    あの街が、こんな姿になるなんて。
    誰が想像しただろう。

    大学時代、何度もデートで訪れた。
    来るたびに、憧れは少しずつ強くなった。

    けれど新築価格は6000万円前後。

    私には届かない世界だった。

    気にしないふりをしていた。

    コロナが人生の価値観を変えた

    コロナに罹り、
    「人生がここで終わるかもしれない」と思った。

    そのとき、押し込めていた思いが浮かんだ。

    みなとみらいに住みたい。

    住宅売却と生活の大きな変化

    当時の年収は770万円。
    家賃は20万円台。

    一般論で言えば、身の丈には合っていない。

    正直、住宅売却がなければ
    この選択はできなかったかもしれない。

    80平米の分譲マンションを手放し、
    50平米の賃貸へ。

    車も売却した。
    通勤は遠くなった。

    それでも、私は選んだ。

    感情だけではない。
    準備もした。
    計算もした。

    だから、踏み出した。

    「想いの強い人が住む街」

    不動産会社の担当者に言われたことがある。

    「人気エリアなので、賃貸でも取り合いになります。
    でも最終的に決まるのは、想いの強い方が多い気がします。」

    その言葉を聞いたとき、
    少しだけ救われた気がした。

    私は、確かにここに住みたいと思っていた。

    みなとみらいで暮らす日常

    みなとみらいの桜と観覧車が見える春の景色

    朝の臨港パーク。
    山下公園までの散歩。

    桜木町から夜景を見ながら帰る帰路。

    みなとみらいの夜景とライトアップされた観覧車

    休日は紅葉坂の県立図書館へ。

    ぴおシティや野毛で飲み歩く。
    横浜駅までも徒歩圏。

    そして何より、
    免許証の住所が「みなとみらい」。

    それだけで、心が満たされる。

    みなとみらいの桜並木と歩道の風景

    50代で「みなとみらいに住む」という選択

    正直、私の年収では
    一般的には住むべきではない場所かもしれない。

    でも今の私は、
    切り詰めてでも住む価値があると感じている。

    コロナがなければ、
    私はこの景色を知らずに終わっていたかもしれない。

    この街は、誰にでも優しいわけじゃない。

    でも、強く願った人間には、ちゃんと応えてくれる。

    だから私は、ここで生きている。


    人生は、まだ終わっていない。

    50代。

    まだ終わらない。


    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択←今ここ
    外車に乗る夢と手放す勇気
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • 50代でマンション売却を決断|住宅購入〜売却2年のリアル

    50代でマンション売却を決断|住宅購入〜売却2年のリアル

    川崎市マンション リビング

    50代で住宅売却を決断した理由

    私は川崎市出身。
    生まれも育ちも川崎です。

    世間的にはあまり良いイメージを持たれないこともあります。

    ですが下町の雰囲気が残るこの街が私はとても好きです。

    大学を卒業した後、しばらくフラフラしていた私に小さな命が授かりました。
    2001年。当時は世紀末が過ぎ、少しだけ子どもの出生率が上がった時代だったと記憶しています。私は25歳でした。

    これも運命だと思い、結婚し、今の会社にお世話になることになりました。

    マンション購入までの経緯

    最初は実家の近くで、私より年齢のいった賃貸マンションの2Kに住み始めました。家賃も交渉して少し下げてもらい、そこで新しい生活をスタートしました。

    やがて二人目の子どもができ、いよいよこの家では暮らせないという話になりました。
    当時30歳。収入も決して高くはありませんでしたが、双方の親の援助もあり、2007年に川崎区内で新築マンションを購入することになりました。

    今振り返ると、収入が多くないのにマンションを購入したことが、離婚の一因になった部分もあると思います。

    私は2001年に結婚し、2001年に就職し、2001年に子どもが生まれました。
    正直、今思い返しても当時は人生をゆっくり考える余裕がありませんでした。

    責任が生まれ、仕事では稼がなければならない。
    家に帰れば子どもは泣いている。
    妻は九州から出てきたばかりで、頼れる人も少ない。

    そんな状況でマンションまで購入してしまい、心のバランスが取れるはずがありませんでした。

    そして2012年、マンションを購入して5年後に離婚しました。
    息子が小学校1年生になるタイミングで、妻は子どもたちを連れて福岡へ戻りました。

    当時、息子と娘を一人ずつ引き取るという話も出ました。
    しかし、小さな兄弟を別々に暮らさせるのはどうなのかという話になり、妻が二人とも引き取ることになりました。

    それからは、夏休みのたびに子どもたちだけでこちらに来てくれるようになりました。
    ディズニーランドやキッザニアなど、いろいろな場所へ連れて行きました。

    そんな子どもたちが、5年しか住んでいなかった家に戻ってくるたびに

    「この家、落ち着く〜」

    と言うのです。

    その言葉を聞くたびに、一人では広すぎる80㎡弱のマンションを手放すことができませんでした。

    やがて娘は福岡で就職し、今年で25歳。
    息子も早生まれなので、数えで今年20歳になります。

    正直、いつかこちらに戻ってくるかもしれない。
    そんな思いもあり、なかなか家を手放す決断ができませんでした。

    しかし、住宅売却を考える大きなきっかけになったのは、2021年に猛威を振るったコロナでした。

    コロナ禍の中で、私自身も感染しました。
    その経験をきっかけに、人生について深く考えるようになりました。

    最初の売却チャレンジ(2023年)

    最初に売却を考えたのは2023年。


    コロナが落ち着き始めた頃でした。

    マンション キッチン

    キャンプブームやリモートワークの普及により、郊外の広めの住宅に注目が集まり、地価が上がっているのではないかと思ったことも理由の一つです。

    購入価格は3030万円。


    不動産会社にマンション売却の査定を依頼すると、4350万円という査定を出す会社もありました。

    川崎市マンション リビング

    その中から、以前から定期的に連絡をくれていたS不動産のNさんにお願いすることにしました。
    父の実家が鹿児島で、その方も鹿児島出身だったため、不思議な縁を感じたのも理由でした。

    ただ、この時私はまだ知りませんでした。

    不動産の査定額には、責任がないということを。

    査定額が高いからといって、その価格で売れる保証はありません。
    価格を決めるのも、売却するかどうかを決断するのも、すべて自分なのです。

    正直「言ったもの勝ちじゃないか」と思いました。

    さらに、縁を感じていた営業の方は4月に異動。
    担当者も変わり、不信感がMAXになったのを覚えています。

    売却価格4180万円の現実

    最終的にS不動産の査定は4180万円。
    この価格で販売することにしました。

    写真撮影や設備確認など、売却前にはやることがたくさんあります。
    さらにSUUMOなどに掲載されると、週末はほぼ自宅にいながら内覧対応。

    10組以上の方が見に来ました。
    2023年は中国の方が多かった印象です。

    しかし3か月の専任契約で出た最高価格は

    3700万円

    リフォーム業者と中国人の方でした。

    4180万円と言われていたのに3700万円。
    その差は480万円。

    不動産の査定価格と実査の売却価格には、大きな差が出ることもあります。

    正直かなり迷いましたが、売却を一旦保留することにしました。

    再チャレンジと価格戦略

    2024年2月頃、今度はこのマンションを購入した時にお世話になったN社に依頼しました。

    しかし内覧は2件だけ。
    写真も営業マンが簡単に撮る程度。

    正直「こんな対応で売れるのか」と思いました。

    そこで2024年秋、再び最初の不動産会社に相談し、もう一度販売することにしました。

    そして価格は

    3980万円

    この価格には意味があります。

    SUUMOなどの検索では

    • 3000万円台
    • 4000万円台

    という区分で検索されます。

    つまり

    「川崎 × 3000万円台」

    という検索にヒットしやすくなるのです。

    マンション ベランダ

    そして2024年12月

    私と同年代くらいのご夫婦が内覧に来ました。
    旦那さんは自衛官の方でした。

    特に奥さんがこの家をとても気に入ってくれて

    「17年住んでいてこんなに綺麗なのはすごい」

    と言ってくれました。

    しかも

    値引きなしで購入

    してくれました。

    組み立て式の棚やベランダの家具まで、そのまま引き取ってくれました。

    50代のマンション売却は人生の大きな決断でした。

    住宅売却は本当に

    縁とタイミング

    だと実感しました。

    引っ越しと引き渡し

    2024年12月契約
    2025年2月17日引っ越し
    2月26日売却

    ただ、引っ越し後も長年の汚れが気になり、1週間ほど元の家に寝泊まりして片付けをしました。

    売却から引き渡しまでには、余裕を持ったスケジュールをおすすめします。

    そしてこうして、ようやく私は身軽になることができました。


    人生は、まだ終わっていない。
    50代。まだ終わらない。

    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日
    マンション売却の決断←今ここ
    みなとみらいに住むという選択
    外車に乗る夢と手放す勇気
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • 【後編】あのお粥の味

    【後編】あのお粥の味

    状態が安定し、
    私は私立病院へ戻された。

    そこで初めて、
    病院で食事を摂ることができた。

    コロナは、味覚や嗅覚に
    障害が残ることがあると言われていた。

    幸い、私にはそれがなかった。

    運ばれてきたのは、

    お粥。
    少しの魚。
    煮物。

    今、写真で見れば
    決して豪華な食事ではない。

    だが、あの時。

    それはとてつもなく美味しかった。

    一口飲み込んだ瞬間、
    ふと頭に浮かんだ。

    「ああ、俺は生きている。」

    涙は出なかった。

    ただ、
    静かな実感だった。

    回復しても、元には戻らない

    退院しても、終わりではなかった。

    肺は回復しても、
    体力は戻らない。

    後遺症外来に
    一年通った。

    それでも、
    思考は確実に変わった。

    生きてて良かった。

    そして、思った。

    出来ることは、出来るうちにやろう。

    人生の再設計は、あのお粥から始まった

    住宅を売却したことも。

    車を手放したことも。

    キャンプを始めたことも。

    資産運用を
    真剣に考え始めたことも。

    全部、

    あのお粥の一口から始まっている。

    このブログについて

    このブログは、
    人生の再設計の記録だ。

    完璧ではない。

    迷いながら、
    失敗しながら、

    それでも前に進む。

    生きているうちに、
    出来ることをやる。

    それが、
    あの日からの私の指針だ。


    人生は、まだ終わっていない。

    50代。

    まだ終わらない。

    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日←今ここ
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択
    外車に乗る夢と手放す勇気
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • 【前編】コロナ重症で肺が真っ白になった日

    【前編】コロナ重症で肺が真っ白になった日

    ー2021年、デルタ株の夏ー

    はじまりは、ただの発熱だった

    2021年の夏。

    デルタ株が猛威を振るっていた頃。

    「まさか自分が。」そう思っていた。

    数日後、医師から告げられた。

    「肺が真っ白です。」

    頭の中が、一瞬止まった。

    戦場の様だった病室

    2021年夏。重症病棟の一室。

    大学病院。

    そこは、静かな入院生活の場所ではなかった。

    戦場だった。

    防護服が擦れる音。

    絶え間ない足音。

    なり続くモニター。

    看護師と医師がごった返し、

    空気は常に張り詰めていた。

    腕には何本もの管。

    肩から入れられたカテーテル。

    体はもう、自分のものではないようだった。

    それでも言われた。

    「うつ伏せになってください。このままだと、息が止まるかもしれません。」

    私は、うつ伏せに寝かされた。

    酸素マスク越しに聞こえるのは自分の荒い呼吸音。

    でも、本当に怖かったのはその数字ではなかった。

    静まり返った夜

    夜だった。

    さっきまであわただしかった隣のベッド。

    その気配が、夜ふと静かになった気がした。

    詳しいことはわからない。

    でも、ここはそういう場所だった。

    夜の病院は静かすぎた。

    その静けさが、何よりも不安だった。

    「戻れなかったら?」と初めて思った

    「このまま戻れなかったら?」

    子どもはどうなる。

    仕事はどうなる。

    これまで積み上げてきたものは?

    呼吸よりも怖かったのは、未来が途切れる事だった。

    あの日、私は初めて”死”を具体的に考えた。

    そして同時に、思った。

    まだ、終わりたくない。

    人生はまだ終わっていない。

    50代。

    まだ、終わらない。

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    ▶【後編】あのお粥の味はこちら

    生き残った。
    だから、できるうちにやる。

    ICUを出て、私立病院へ戻った。

    そこで初めて口にしたのは、
    一杯のお粥だった。

    ▶【後編】あのお粥の味
    (リンク)

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    ▼人生再設計シリーズ

    コロナで人生が止まった日←今ここ
    マンション売却の決断
    みなとみらいに住むという選択
    外車に乗る夢と手放す勇気
    ・(次回)タグホイヤーを子供に渡す、その理由

  • コロナで肺が真っ白になった50代会社員が人生を再設計すると決めた日

    コロナで肺が真っ白になった50代会社員が人生を再設計すると決めた日

    コロナで重症化し、肺が真っ白になった。

    医師からそう告げられたとき、人生が一度止まったと感じた。

    50代会社員の私は、あの日を境に人生を再設計すると決めた。

    これは、その原点の記録だ。

    みなとみらいで築いた安定した生活

    50歳。年収800万円弱。

    専門性の高いニッチ業界の零細企業で25年働いている。

    みなとみらいに住み、数千万規模の資産も築いた。

    臨港パークから赤レンガ、山下公園へと続く散歩コース。

    窓の外には子どもたちの笑い声。

    正直に言って、今の暮らしは悪くなかった。

    2021年、突然息ができなくなった

    転機はコロナだった。2021年の夏。突然息が苦しくなった。

    最初は風邪だと思った。だが熱は下がらず、酸素濃度は危険な数値を示した。

    救急搬送。

    病院は逼迫していた。

    野戦病院のような光景。肩からカテーテルを入れられ何本もの管に繋がれた。

    「このままで本当にいいのか?」

    そう考えざるを得なかった。

    回復した。でも、元の自分には戻れなかった

    だが、何かが変わてしまった。

    仕事に不満があったわけではない。長年、企画や商品開発に携わり、自分なりの誇りもある。

    だが会社は小さく、経営層は高齢化している。自分ではどうにもできない流れもある。

    私は感情の振れ幅が大きい。多動で、思い立ったらすぐ動きたくなる。

    だが気づいた。

    本当は辞めたいのではない。「辞められる状態」になりたいのだ。

    人生を再設計するという決断

    あの病室で感じたことは一つ。人生はいつ終わるかわからない。

    ならばやりたいことをやる。

    やらなかった後悔より、やった後悔の方がいい。

    副業、資産形成、発信。

    すべては「選べる人生」を手に入れるため。将来の自分に言わせたい。

    「あの時、決断してよかった」と。

    人生はまだ終わっていない。50代、まだ終わらない。